10Bのサブでます
先日、鶴見線の205系を撮りに行った話を書きました
んで、書くついでに写真の整理をしてたら高校生の頃に大川駅に行って撮った写真が見つかり18きっぷ旅行の記事もだいたい書き終わったので、また適当に書いてみました
まず大川駅がある大川支線について
簡単に言うと、超極端な通勤路線です
この通り、通勤時間帯に毎時1~2本程度電車が来るだけで昼間には1本もありません
あの和田岬線の土曜ダイヤレベルです
休日になるともっと悲惨で、1日3本しか電車がありません
終電も18時14分というローカルっぷり
ただ、昔からこうだったわけではなく、手元にある1964年9月の復刻版時刻表によると、8~20分毎に電車があった模様
(ちなみに、和田岬線は現在の方が本数が多い模様)
まあいいや、てなわけで
朝だから4番線も使われている
この頃はまだ新型車両導入の話はなかった
でも近いうちに置き換えられるだろうことは容易に想像ができた
下手くそながら何枚も写真を撮った
鶴見線はローカル線のイメージがあるが、通勤時間帯ではひっきりなしに電車が来る
武蔵白石行きが発車するのと入れ替わりに大川行きが来た
そういやこの年は鉄道開業150周年だったな
さすが通勤路線、満員とまでは言わないまでもかなり電車内は混雑していた
気づいた時には大川駅
武蔵白石を目前に曲がり、その後ず~っと直線だったのが印象に残ってる
駅に電車が到着した後、駅に残る者はおらず、周りの工場へ散らばっていった
無駄に多い線路
貨物があったころの名残
柵がボロい
反対側のヘッドマークはまた違うんだ
駅を出た
閉鎖された踏切
8年前に来たときはまだ踏切だった
てか、JR貨物の設備なんだ
書いてる今知った
駅舎
右側に影トマソン
線路を渡り反対側から
ついでだったので浜川崎周辺の写真を撮りに行った
鶴見線の設備の写真も撮りたかったので浜川崎まで歩くことにした
(電車賃ケチるためもあったのはヒミツ)
微妙に坂が続き、意外と高いところまで来てた
そんなことを考えながら、撮りに来た場所の1つ目、大川支線第五橋梁に到着
橋に点在するこの穴は機銃掃射の銃痕
戦後80年が近くなりつつある今も生々しい銃痕が残る
その後、何枚か写真を撮影し浜川崎に向け歩きはじめる
そしてしばらく歩き2番目の撮りに来た場所、日本鋳造踏切
何の変哲もない踏切に見えるが、未だに踏切警手がいるという超特殊な踏切(第一種乙)
あんまり時間ないけど、踏切閉まんないかな~と思っているとちょうど行きに乗ってきた電車が来た
よく見ると踏切警手がいるのが見える
電車が来るのを待ちたかったが、時間が結構ギリギリだったので諦めた
追い越された
しばらく線路沿いを歩き、3番目の撮影場所、田辺新田可動橋に到着
傍から見るとなんかよく分かんない塔のようなものが2つあるだけに見えるが、実はこれ可動橋なのだ
まあ要するにこの機械で線路を持ち上げるのだ
だいたいの可動橋は船を通すためであることが多いが、なんとこの可動橋は車を通すためという非常に珍しい可動橋
動いてるシーンはyoutubeにいくつか上がってるから気になる人は調べてみてください
もっと近くで撮りたかったが、朝の時間帯でトラックがひっきりなしに来るのと時間があまりなかったのとで諦めた
あとは廃線になってる貨物線の写真を撮ったくらい
立派な高架で今にも貨物列車が走ってきそうだが、廃線である
ツタに覆われた高架が長いこと列車が来ていないことを物語っているようだ
都会のローカル線のイメージが強い鶴見線だが、一応都会の通勤路線としての面もあるため平日の朝はこまめに電車が来る
しばらく線路から離れ、いつの間にか全然違う景色になってることが多い街の写真を撮り、
先ほどの廃線と合流
もはや木すら生えてる
なんと言うか、非常に川崎らしい光景のような気がする
廃線だろうが廃線でなかろうが海が近い川崎の町では何でもかんでも錆び放題なのだ
気づけば浜川崎駅に到着
あ゛あボケた
南武支線の方に用事があるが、電車の時間までまだ時間があったため鶴見線側の浜川崎駅の写真を撮っていると、
弁天橋の車庫に戻っただけだろうけど、狙ってもないのに撮れたのはラッキーでした
この線路がたくさんある光景も川崎って感じがする
さてそんなこんなで同じ会社の路線なのに駅から出ないと乗り換えられない謎の駅、浜川崎に到着
ここでも並走する貨物線の写真や鉄塔の写真を撮ったので、何枚か公開して終わり
朽ちた機関車
猛々しい鉄塔
電線を剥がれた寂しき鉄塔
しかし、鉄塔としての勇ましさは未だ健在
終わり